鉄鋼の熱処理で一番のポイントの「焼入れ」と「焼戻し」について説明します。
鋼を硬化させるために、鋼を変態点以上の温度に保持した後に「急冷」する操作を「焼入れ」と言います。 英語ではハードニングHardening・クエンチハードニングQuench- hardeningと称されます。 クエンチや クエンチングとも言われます。
炭素を含有する工具鋼は急冷することにより鋼が硬化しますが、その冷却には水、油、熱浴、空気などを用い、それに加えて、それを静止したり撹拌したりして冷却速度を調節します。 金型ではさんでその伝導を利用して冷却する方法は、曲り取りを併用する焼入れとして利用する場合があります。(プレス焼入れ、金型焼入れと呼びます)
硬化するために必要とする急冷の度合いは鋼種によって異なりますが、水冷ではなく油冷、油冷ではなく空冷というように、ゆっくりと冷やしても硬化する材料を「焼入れ性が良い」と言います。「空気焼入れ鋼」と言われるものは、空冷で硬化する、非常に焼入れ性が高いものです。
焼入れ性は、Mn(マンガン)・Cr(クロム)などの焼入れ性を高める合金元素量が影響しますが(こちらの図3を参照)、ジョミニ焼入試験などのように、端面を冷却して、端面からの表面硬さを測る方法や、規定の表面硬さや中心硬さが得られる最大直径を示すことなどでそれを表します。 カスタムナイフなど薄い品物に加工される場合には厚さや断面はさほど大きくないうえに、近年は高級鋼が使用される傾向がありますので、焼入れ性を気にしなければならないということはないでしょう。
しかし、日本刀などのように水焼入れをしなければならない鋼種で均一な硬さを出すのは困難で、当社においても、水焼入れする鋼種は、部分によって硬さがばらつくために硬さ保証ができないために、当社を含めて、一般の熱処理屋さんでは単発の熱処理の注文を受けてくれるところは少ないでしょう。
ただ、これらの炭素鋼系(JISではSKに分類されるものや、日立金属の白紙、黄紙、青紙など)の鋼は、焼入れ温度が800℃前後で、ガスバーナーで加熱すると目標焼入れ温度になり、切れ味の優れた刃物ができることから、個人的に熱処理するマニア・専門家も多いと思います。
焼入れのための加熱温度を「焼入れ温度」といい、鋼種によって適正温度が決まっています。
適正な焼入れ温度は、硬さや組織判定によって規格化されるのが普通で、メーカーのカタログなどでそれが公表されています。
例えば、炭素鋼を水中に焼入れすると非常に硬くなります。その金属組織をみると、針状で細かい組織になっていて、非常に腐食しにくく、それを200℃程度に加熱すると、少し腐食しやすいものに変化していきます。
この焼き入れて硬くなっている組織を、ドイツ人のマルテンスさんにちなんで「マルテンサイト」と名付けたようですが、焼入れしたままの、観察用の腐食液で腐食しにくいものを「αマルテンサイト」、少し温度を上げて腐食しやすくなった組織のものを「βマルテンサイト(焼戻しマルテンサイト)」と区別しています。
焼入れしてから焼戻し(250℃程度以下)までの変化を、「マルテンサイトが焼戻しマルテンサイトになることでねばさが増す」と覚えておいてください。
(厳密な話はここでは取り上げませんが、以下に少しだけ専門的な話をします。)
焼入れ温度に加熱した状態の結晶構造は面心立方晶ですが、αマルテンサイトは体心正方晶、βマルテンサイトは体心立方晶になっているようです。 (正方晶は、立方晶が伸びた[平たく言えば結晶の最小単位の形が正方形が長方形になった]ものと思ってください。)
結晶構造については、別図(解説も)でイメージだけを感じてください。
焼入れ温度に加熱した時には面心立方晶の「オーステナイト」が体心立方(正方)晶のマルテンサイトに変わると、体積が膨張し、硬さが非常に高くなります。
焼入れの際の冷却材は、(冷却能力の高い順から)水・油・ソルト・窒素ガス、空気などが用いられます。
鋼材の表面で焼が十分に入る最低の冷却速度を「臨界冷却速度」といい、硬化の深度と硬さの関係を「焼入れ性」として表現します。
焼入れ性は鋼の化学成分や結晶粒度によってきまる性質で、ある成分の鋼をいろいろな冷却速度で冷却して、その時の組織と硬さの関係を示した「S曲線」や「CCT曲線」と言われる線図から推定できますが、工具鋼メーカーの日立金属(株)では、実際の品物を焼入れをする場合の質量効果(mass effect マスエフェクト)との関係が実感されやすいように、「半冷曲線」という独自の表を作成して、中心まで硬さが得られる場合の直径などが視覚化できるように工夫されています。
焼入れ性の良い材料は、表面から中心部に向かって、同じ硬さが得られる寸法範囲が大きく、半冷曲線で硬さの低下している寸法ぐらいの大きいものになると、すでにその状態では、表面より内部の硬さが低くなっています。
マルテンサイトを焼戻し(一般には160℃〜250℃程度)すると焼戻しマルテンサイトになって、硬さが若干低下し、ねばさ(強靭性)が増加します。 硬さだけではなく、強さも必要な、高硬度で使うナイフや工具などはこの状態で使用します。 つまり、焼戻しをしないと、欠けたり折れたりしやすいということになります。この関係は、「焼戻し温度とシャルピー試験値」などの機械的性質との関係で表わされます。一例はこちら
250℃以上に、もっと焼戻し温度を上げていくと次第に硬さが低下しますが、組織をみると、炭化物が析出する「共析反応」が進んでいると説明されます。焼入れ時の冷却速度が遅い場合の組織は、見た目は違いますが、同様の混合組織になっています。(あとにも出てきますが、硬さが下がっても、強靱性は向上しない場合もあります)
次に、焼入れの際にマルテンサイトに変わる速度より遅い速度で冷却されるとどうなるか・・・について考えます。
ここは、おおざっぱな説明となりますが、焼入れ性や炭化物を生成に関係する合金元素の量が多いか少ないかによって説明される内容が変わります。
合金元素が少ない場合には、冷却が遅いと冷却途中で炭化物が析出することで素地中の炭素量が減少して焼入れ硬さが低下します。 このために、一般には硬さや機械的性質も変化します。(つまり、冷却が遅いと性能が悪くなる場合が多いので、早く冷却するほうが良いと言えます)
合金量が多い場合でも、焼入れ温度からの冷却中に、炭化物の生成を抑制することが必要なために、その生成温度域を早く冷やす必要がありますので、基本的には冷却速度が遅いのはダメといえます。
しかし、問題は単純ではありません。 冷却過程では各部位の温度が異なっており、そこでいろいろな共析反応が連続的に起こっているのですから、残留オーステナイト(別のところで説明しています)が増減したり、炭化物組成が変わったり、曲がりが生じたり・・・という現象が起きますが、それらを一義的に説明することは難しく、簡単には説明できません。
そしてまた、マルテンサイト量の増加は焼入れ中の品物の温度が低下するにつれて増加するという「温度依存性」という性質があります。(焼きが入る温度以下に温度が下がっていくにしたがって「硬く」なる・・・というイメージでいいでしょう) このようなことが「熱処理の難しさ」「ノウハウ」「熱処理技術」につながっており、ただ連続的に冷却するだけではない…という話になっていくのですが、ここではこれ以上の詳しい説明はしません。
鋼を焼入れする場合には、マルテンサイト変態は温度の低下とともに進みます。それが生成し始める温度をMs(えむえす:スタートのS)温度といい、その生成が完了する温度をMf(えむえふ:フィニッシュのf)温度と言います。
もちろんMf温度が常温以下の鋼も多いために、常温ではマルテンサイトにはならないオーステナイトが残ります。これを「残留オーステナイト」と言います。 オーステナイト系ステンレスと呼ばれるものには、Ms点が常温以下となって、マルテンサイト化しないために、それがひとつの特徴となって別の用途に用いられる鋼もあります。
また、CrやMoなどの炭化物をつくる元素が多いと、500℃以上の温度で再び硬くなります。これを2次硬化と言いますが、これらは、焼戻しの項で説明します。
炭素工具鋼ではセメンタイト(Fe3Cの組成の炭化物:3は小さい3でFeが3つとCが1つの化合物)とフェライトと呼ばれる純鉄との混合組織に変化するのですが、ナイフなど、工具の熱処理には組織分類はあまり重要でありませんので、この程度にとどめます。
マルテンサイト変態は、先に説明したMs、Mfのような「温度依存」と、Ms以下の温度に長時間置かれると変態する「時間依存」、形状記憶合金などで「加工誘起マルテンサイトの生成」で説明される「応力依存」などがあります。(ここではそれらには触れません。)
焼入れした鋼の中に残っているオーステナイトを「残留オーステナイト」と言います。(data6写真参照) ナイフや工具に使われる鋼は、Mf点が常温以下のものが多いために通常はいくらかの量で変態しないオーステナイト組織が残っています。(Mf点は、マルテンサイト変態が終了する温度でしたね。 SKD11などの高合金工具鋼では焼入れ状態で20-40%も残留している場合も多いようです)
残留オーステナイトが多くなるにつれて、焼入れした時の硬さが低下します。また、弾性限が低下したり、経年変化が出やすいことや着磁力の低下などの悪影響がでてきます。しかし、経験的には10%程度の残留オーステナイトはじん性を向上させ、ショックアブソーバーとなって、焼き割れや使用中の割れを防ぐとされています。
こちらの図11-43にあるように、残留オーステナイト量は指定の焼入れ温度範囲を超えると急激に増加します。 冷却速度が遅い場合にも増加しています。(重要:このように一般的には説明されていますが、厳密には、鋼種に依存します。今後の説明も、一般的なものとして捉えてください)
残留したオーステナイトを減少させるには、焼戻しして温度をあげて組織変化をさせるか、Mf点以下の温度まで冷却して変態を完了させる方法や、その低温で非常に長時間保持して恒温的に変態させる方法などがありますが、熱処理費用は多額になりますので、特別な品物以外では、行われることは少ないようです。
0℃以下に冷却する処理は「サブゼロ処理」と呼ばれます。また、-100℃以下(一般的には液化炭酸ガス温度)のものは、サブゼロ処理と区別して、「クライオ処理」と呼ばれます)
焼戻し温度を上げていった場合には、250℃程度以上で残留オーステナイトが分解を始めます。 高硬度が得られ、ナイフ用に広く用いられるSKD11やSUS440C、ATS34、カウリXなどは200℃以下の焼戻し温度が採用されますが、通常残留オーステナイトの分解温度以下の焼戻しをされる品物では、焼戻しによって残留オーステナイトは減少しません。 このために、高い硬さが必要である場合に、焼入れ温度を上げる方法を取る場合が多いのですが、残量オーステナイトが増えて硬さが上がらない要因があるために、安易に高温にあげないように注意する必要があります。
残留オーステナイトは、C・Mn・Ni・Crなどの合金成分が多いほど多く残留するために、ナイフや工具に多用される鋼種ではかなりの量が残留しています。 しかし、焼戻しをすると残留オーステナイトが安定になって、その後の冷却では分解や変化することが少なくなりますので、残留オーステナイトの悪影響はあまり真剣に考えなくてもよいのですが、経年変化する可能性もありますので、高速部品や高精度部品では残留オーステナイトに留意する必要があります。
400℃以上で残留オーステナイトは分解し始め、550℃以上で焼戻しすれば数%以下〜ほとんどゼロ%ちかくになっています。
少し専門的に説明しますと、残留オーステナイトが分解していくとき、400℃以上でツルースタイト(トゥルースタイト)、500℃以上でソルバイトと呼ばれる組織になっており、いずれもフェライト(α鉄)とセメンタイト(炭化物)に変化したり、成分によってはベイナイトと呼ばれる組織になります。それ以上では合金元素によって炭化物が生成してきます。これらについては、焼戻しの項でもう少し説明します。
残留オーステナイトを減少させる方法には、Mf点以下の温度まで冷却する方法があります。これを「サブゼロ処理(深冷処理ともいわれる)」と言い、通常はドライアイスの温度(-75℃程度)が多く用いられていますが、クライオ処理と呼ばれる、液体窒素を用いて-150℃以下で処理する場合もあります。
残留オーステナイトを低減させ、高い硬さをえるためのサブゼロ処理は焼入れ直後に実施するのが効果的で、焼入れ後に温度が上昇したり、時間が経過すると残留しているオーステナイトが安定化してマルテンサイトに変態しにくくなったり、変態しなくなります。
当社の実験例では、高合金鋼をいろんな冷却条件で焼入し、Mf点以下にサブゼロ処理やクライオ処理をしてもそれが完全に消失せず、数%は安定化して残ってしまっていて、それを完全に消失させるには高温焼戻し以外に方法がありませんでした。多くの書籍にも、「サブゼロ処理によって残留オーステナイトをなくす」という表現がありますが、無くすことはかなり難しく、少なくなるという表現が無難なところです。
すなわち、高い硬さを必要とする場合や、周囲温度の影響を避ける場合などで焼戻し温度を高めておきたい・・・などの特別な理由がなければ、「残留オーステナイトを少なくする適正温度での焼入れと、充分な焼戻しをすること」で経年変化などの未然に防ぐ対策をしておれば、そんなに神経質に考える必要がないように思います。
残留オーステナイトの分解によって、それがマルテンサイトなどに変化すれば硬さが上昇します。しかし、その後の焼戻し温度に対する硬さ低下度合い(これを焼戻し温度抵抗、焼戻し抵抗または焼戻し軟化抵抗などといいます) は大きくなっており、サブゼロ処理をした場合などは処理後の焼入したままの硬さは上昇していますが、温度を上げた時の硬さが下がりやすくなっています。 これらは、「焼戻し」の項で触れます。
これとは別に、加工誘起マルテンサイトというものがあり、オーステナイトが加工変形によってマルテンサイトになる場合がありますが、ナイフや工具の通常使用においては意識しなくてよいと思いますが、非常に興味ある未知の問題を含んでいます。
焼入れ硬化させるために加熱する温度を「焼入れ温度」といいます。
品物全体が焼入れ温度に到達させるために、一定の時間その温度に保持する必要があり、中心部がその温度に達してからの時間を「焼入れ保持時間(または単に保持時間)」と言います。
先に説明しましたが、温度の不均一による変形を避けるために、焼入れ温度以下で一旦、一定温度に保持する場合があり、それを「予熱」と言います。予熱は変態による体積変化で曲り(ひずみ)などが出るのを抑える効果が大きいために、複雑な形状のものや大きな品物には重要となります。
別に日立金属(株)のカタログの保持時間を示します。
高速度鋼と、その他の鋼種との違いに注意ください。
一般鋼材の保持時間については、古くからアメリカの基準に沿って「焼入れは1インチ当たり30分、焼戻しは1インチ当たり1時間」と言われてきましたが、炭化物(厳密には共晶炭化物を除く)がオーステナイト中に溶け込むのに必要な時間と考えると、「炭化物の種類や大きさ、分布の違い」などで保持時間が異なると考えるのが妥当です。
このために、構造用鋼などの炭化物生成元素があまり含まれない鋼材の保持時間は不要とする考え方が通説となっていますが、しかし、炉の熱容量、加熱速度、予熱の有無、装入方法、温度測定位置などで品物の表面と内部の温度差が同一かどうかの決定が困難であるので、今でも大まかな基準としてその数値が生きているようです。
当社で5%Cr、12%Cr系の高合金工具鋼を用いてソルトバスを使った焼入れ実験をしたところ、正規の保持時間と保持時間をほとんどとらなかったものの組織・硬さを比較しても変わらなかったことから、焼入れ保持時間の影響は焼入れ温度の影響と比べて非常に少ないということを確認しています。(参考:焼戻しパラメータの例)
これについては、焼入れ温度に対する組織の変化は拡散現象であるので、そのパラメーター P=T(C+log t)/1000 [ここで T=焼入れ温度(ケルビン) t=保持時間 C=定数] という計算式であらわされていることからも、保持時間の影響は少ないと推察できますが、しかし、実際の操業では温度の均一性などの不確実な要素がありますので、長くする必要はないにしても、あえて保持時間を設けないのは良くないと思います。
また、必要以上に長時間加熱をすると、焼入れ後に残留オーステナイト量が増えて焼入れ硬さが低下します。 このことから、当社でも上記の保持時間「焼入れは1インチ当たり30分、焼戻しは1インチ当たり1時間」を踏まえたうえで、「最低1時間ただし通常2時間」を基準にして作業しています。
焼入れ温度は鋼材メーカーによって推奨の焼入れ温度などの「標準熱処理条件」が示されます。(こちらに、その例を示します)
これは、焼入れした時に十分な硬さが出て、機械的な性質(強度やじん性など)に異常が見られない範囲の温度を示したもので、基本的には、必要硬さが得られる、出来るだけ低い温度」を選ぶことで良いでしょう。
一般的には「焼入れ温度はじん性が必要な場合は低めの温度を、耐摩耗性や硬さが必要な場合は高めの温度を選ぶ」という考え方がよいでしょう。 ナイフや冷間で使用する工具では250℃以下の低温で焼戻しされることがほとんどのために、高温で焼入れすると残留オーステナイトが多くなることや結晶粒が粗大化しますので、鋭利な刃先では「刃こぼれ」の感受性を考えると「じん性重視」で低めの焼入れ温度をとることが必須と考えています。
焼戻しに関係しますが、焼入れ温度によって溶け込む炭化物は「共析炭化物」で(これに対して、焼入れ温度では溶け込まない炭化物は溶鋼が凝固する際に生じたもので、共晶炭化物と呼ばれます)、それはとくに高温焼戻しでの硬さアップに寄与しますので、耐熱性を必要とする場合などでは高温側の焼入れ温度や焼戻し温度を使用する・・・というように、目的別に焼戻し温度を選ぶことになります。
焼入れ温度・焼戻し温度と硬さの関係は、鋼材メーカーから「焼入れ焼戻し硬さ曲線」として提供されます。 そして、その他の技術資料として、硬さと衝撃値などのデータも提供されますので、これらを参考にして熱処理条件を決定するのが熱処理屋さんの仕事(技術力)になるわけです。
当社ではソルトバスを用いた熱処理においては、焼入れ温度の重要性という考え方を大切にしています。
できるだけ低い焼入れ温度、出来るだけ短い保持時間で1品1品を焼入れすることができるソルトバスは、いろいろな鋼種の処理温度に共通な温度にして焼入れする真空炉とはちがうという優位性がありますので、この考え方をいつまでも大切にしていきたいと考えています。
焼入れ直後の鋼は、マルテンサイトと残留オーステナイト、炭化物、その他、ソルバイトやベイナイトといった不完全焼入れ組織などで構成されている状態であり、このとき、マルテンサイトは炭素が過飽和の状態で、オーステナイトは、分解しようとしている不安定な状態ですので、加熱されると速やかに安定な状態になろうとします。 そうするために行う加熱操作を「焼戻し」と言い、一般には温度別に4つの過程に分けて説明されます。
【第一過程】 200℃までの加熱で焼入れ状態のマルテンサイトが「焼戻しマルテンサイト」に変わります。両者は、焼戻しマルテンサイトになると腐食されやすいことで識別される以外はわかりにくいのですが、加熱によって低炭素のマルテンサイトに変化するとともに、炭化物に分解しており、このために焼入れ時の内部応力が緩和されます。 これを利用して、変形を治具を用いて矯正する操作ができます。
一般的には、約180℃以上でじん性が急激に高くなるので、硬さの必要なものの焼戻しは、このことを考えて焼戻しを行います。
【第二過程】 200-300℃で、残留オーステナイトが分解して(SKD11など鋼種によってはこの温度では分解しないものもあり、鋼種に依存しますが・・・)焼戻しマルテンサイトに変化します。 もちろん、一気にこの温度で焼戻しすると、先の第一過程が同時に進行することになりますので、変形の矯正をするには1回目の焼戻しを逸するとそのあとの矯正は難しくなり、その時にはかなり硬さを犠牲にして1回目の焼戻し温度より高い温度で行わないと矯正できません。
また、焼戻しの冷却の際に生じたマルテンサイトは焼入れで生じたものと同じで、再度焼戻しする必要があります。(「300℃以下の温度での焼戻しは1回でよい」と主張される人もおられるようですが、やらないほうが良い理由は考えにくく、確実に2回の焼戻しをすることが必要と考えています)
【第三過程】 焼戻しマルテンサイトが250℃以上でフェライト(α鉄)とセメンタイトの混合組織に変化し、次第に軟らかくなっていきます。 (ここでの組織は温度とともに変化していきます。フェライト/セメンタイト混合組織の層間距離が粗くなり、次第に球状化する変化が見られますが、少し専門的ですので説明は省略します。)
この段階では「低温焼戻し脆性(ぜいせい)」と呼ばれる現象があります。 多くの鋼種では300℃付近で焼戻ししたものの耐衝撃性が急激に低下します。(鋼種によっては低下しない鋼種もありますが・・・) 磨いた鋼を空気中で250℃程度に加熱すると青色などに着色しますが、この状態では衝撃値が低下してもろくなる鋼種が多くなることから、「青熱(せいねつ)脆性」とも呼ばれます。(じん性の低下はこの温度では現れないでもっと高い300℃以上の温度で現れるものが多いようです)
これらの脆性への対処については、じん性の要素があまり必要なく、硬さを重視する場合はこれを無視して焼戻しされる場合もあるようですが、一般的にはこの温度帯(300-400℃付近)での焼戻しは避けるのが無難です。
それ以上の、脆化しない温度域で焼戻ししたものを、再度脆性温度帯で焼戻ししても、衝撃値が低くなることはないようです。このために、脆化の原因は残留オーステナイトの分解による生成物によるとされ、ベーナイト化の影響が強いとされています。
工具鋼におけるこれらのじん性低下についてはあまり論じられておらず、むしろ、じん性や機械的性質の変化(焼戻し温度との関係を示すグラフなど)をみて、そのような「温度-硬さ域」を避けることで対処するようにするとよいでしょう。
【第四過程】 Cr・W・Mo・Vなどの炭化物を形成する元素を多く含む合金鋼では、500℃以上の温度で安定な炭化物の析出と成長が見られます。これを2次硬化と言います。
Cr炭化物は形が大きく、分散しない傾向が強いために2次硬化にはあまり関与しませんが、それ以外の炭化物は微細に析出して結晶にひずみを与えて硬化します。
これを「高温焼戻し」といって、同じ硬さにする場合でも、区別しています。
焼戻し時間の例はこちらを参照
焼戻しは拡散現象であるという考え方から「温度と時間」の関数としてあらわされることがあります。(焼戻しパラメーターとして示されている場合があります:一例はここに) しかし、温度の上昇につれてマルテンサイトやオーステナイトが変化していくことなどを考えると、それだけの説明では不十分で、「回数」や「やり方」を含めて、いろいろな問題を考慮する必要がありそうだということは予想されます。 焼戻し時の状況と問題点について順に追っていきます。
まず、品物を加熱し、周囲(雰囲気)温度が一定の目的温度になっているとき、表面から熱が伝わっていきます。 そして、ある時間が経過して内部まで均一な温度になります。
このときには各部の温度の不均一は熱膨張によって応力変化を与えます。 その間に焼戻しによる組織変化などを生じる温度にまたがると、応力不均衡は助長されますので、急激な温度上昇は変形を生じさせたり、極端な場合は割れてしまうなど、好ましくないと言えるでしょう。
しかし、品物の温度は、雰囲気からの対流による昇温よりも鋼内を伝導で伝わるほうが速いので、実際的には残留オーステナイトが変化しない200℃程度以下の温度においては、(単純形状のものに対しては) ほとんど焼戻しの加熱速度は考慮していませんが、断面形状が複雑かつアンバランスなものであって、500℃以上の高温に焼戻しする工具類などにおいては「割れ」の危険を避けるためにも段階加熱をするなどの配慮を必要でしょう。
焼戻しの保持時間とは、品物の温度が目的の温度に達して、全体が均一になったとされてからその温度に保持している時間をいい、それまでの加熱時間を昇温時間といいます。 それらは加熱設備の熱容量や雰囲気や目的温度などで異なりますし、温度測定の方法によっても異なりますので、通常は実際温度を測定しておいて技術標準として保持しておいて、それをもとに作業します。
ただ、焼戻しの適正時間は焼入れ保持時間とは異なり、長時間になることで極端に性能が劣化するということはほとんどありません。 長時間化すると硬さ低下として現れますので、逆にそれを利用して微妙な硬さ調整をする場合もあります。
時間が短すぎると均一性が損なわれる恐れがありますので、目的温度や品物の厚さ、形状によって技術標準を決めて作業をしていますが、当社では小さなものでも最低1時間以上の保持時間をとっています。 また、合金工具鋼は必ず2回以上の焼戻しをして品質を安定させます。
ナイフなど工具に使用する鋼は、目的とする使用時の機械的性質(変形しない、割れない、摩耗しない・・・など)に応じて材料を選定します。
材料メーカーでは比較的試験が簡単な「硬さ」を指標として、いろいろな機械的性質との関係を調べて公表しています。
「硬い=強い」「やわらかい=ねばい」ということは感覚的には分かっているのですが、これら試験の結果から、焼戻し温度、硬さを基準にして材料の持つ機械的性質を数値的にとらえることができます。 言い換えれば、これが材料設計、熱処理設計をする基本の数値になります。
「硬いから少し軟らかくする」「これは摩耗しにくい」などという感覚も大切ですが、これらのデータはしっかりした裏付けをもとに考えることができる貴重な資料です。 これをもとに「最適硬さ」を決定できるのです。(これについては別項の「材料の選び方」などで説明しています)
また、別紙にわかりやすくまとめられた日立金属のカタログの数値をもとに、各表の見方や考え方を説明していますので、一読ください。
工具などに使用される合金鋼は最低でも2回の焼戻しをします。
合金元素が多く、高温焼戻しする鋼種には、3回の焼戻しが必要な場合もあります。
これは焼入れにかかる問題と焼戻し時の組織変化が関係します。
焼戻し回数は、熱処理費用にも関係しますので、この内容を簡単に説明します。
焼入れして常温近くになった鋼の多くは未変態の残留オーステナイトが存在しています。 何よりも、焼入れ直後の鋼の状態は温度・組織的に不安定ですので、焼き割れを防ぐために、常温に長く置かないようにして焼戻し処理に移行するのが重要です。
焼戻しによって、焼入れ時の変態や相変化は中断されますので、微小な部位的にみれば鋼材の内部では複雑な状況になっているはずですが、その上に焼戻しの加熱での変化が加わります。
そしてまた、焼戻し保持完了後の冷却時には、中断された変態が再開したり、新たに焼戻しによる組織変化が加わったりしますので、1回目の焼戻しが終わっても安定した組織や応力状態にはなっていないと考えられます。
このために、構造用鋼などのように合金量が少ないもので500℃以上の焼戻しする場合には 1回の焼戻しで問題ありませんが、工具に使用する合金鋼では必ず最低2回の焼戻しが必要です。
少し具体的な説明になりますが、焼戻し時においては、およそ400℃以上の高温で、残留オーステナイトが焼戻しマルテンサイトより脆い「ベイナイト」などに変化したり、焼戻しの冷却中にマルテンサイトに変化するものがあります。(鋼種、成分によってその変化は異なります) それを2回目の焼戻しをすることによって、焼戻し時に変化したマルテンサイト組織などを焼戻しして、全体を安定な状態にします。
これによって、その時点で残っている残留オーステナイトも安定して変化しにくくなります。これは「残留オーステナイトの安定化」と呼ばれます。(残留オーステナイトはおよそ10%以上残留することは好ましくないとされていますが、前項の「焼入れ」の内容を参照ください)
当然、2回目の焼戻し温度は、硬さを下げる必要のある場合は高い焼戻し温度にするでしょうが、(鋼種によるのですが)目的温度が残留オーステナイトの変化に関係する250℃以上の温度であればそれが分解するために1回目より高い温度にすることは「?(Question)」といえるかもしれません? (ただ、この是非や衝撃値などの関係については専門家の間でも諸説があり、あまり深入しないでおきます)
3回の焼戻しが必要な場合があります。これには、やはり残留オーステナイトの影響があります。
550℃程度以上の温度では残留オーステナイトがほぼ完全に分解します。1回目の焼戻し後に残留オーステナイトはマルテンサイトやベイナイトに変化しますが、この温度では炭化物の析出が同時に進んでいますので、2回の焼戻しでは組織的な不均一さが残ります。
このために3回の焼戻しが必要とされるのですが、現実的にCoやWなどを多く含む鋼種では、焼戻しが不完全である場合には、特に、大型品では型寿命が短くなったり、じん性値の低下などが報告されています。
焼戻しを兼ねて曲り取り(矯正)をする場合があります。焼戻しの仕組みから言うと初回にするのが効果的ですし、矯正を繰り返す場合は、以前より高い温度でしないと効果が少なくなります。 残留オーステナイトなど、焼戻しして組織などが変化する要素があればうまくいきますが、通常は2回目以降の焼戻し時に矯正する場合は、温度を高くとって、硬さを下げなければ、曲がり取りをするのは難しくなります。
品物が熱処理中に変形する場合について考えてみましょう。熱処理での変形の原因は、熱に伴う膨張収縮と、変態時の膨張収縮が関係します。(これ以外として、機械加工の残留応力によるものや、不完全な焼なましによって鋼材の組織等の不均一さが熱処理中に露呈するものなどがありますが、これらについては、ここではふれません。)
(1)焼入れ加熱中の変形
加熱中の品物は熱によって膨張しますので、温度ムラは変形につながります。また、オーステナイトになるときに変態によって体積が減少します。 温度差が大きいと、高温になるほど品物が柔らかくなるのが加わって、加熱過程でのおおきな変形要因となっています。
高温状態では品物の持っている強度(硬さ)がかなり低くなっているために、応力が解放されます。 (応力とは、品物の内部にある力で、「硬さ」と考えてもいいものです)
このときに変形することが予想されますが、これを防ぐために、熱処理方法としては、焼入れ温度まで一気に昇温しないで段階的に保持しながら加熱することでその影響を防ぎます。 非常に複雑な形状のものは、変形を拘束するように、炉などへの装入のしかたに注意する必要があります。
焼入れ時の品物のセット方法や各部の温度差が変形に大きく影響しますので、品物をまっすぐにたてて保持したり、吊り下げたり、または、極端に熱源に近づけないことなどで加熱中の変形を小さくするような配慮をします。
品物の冷却時には、オーステナイトが焼入れによってマルテンサイトに変化するとき、体積が膨張します。これによって応力が発生します。すなわち、部分的な温度差による収縮程度の違いなどで生じた熱応力と変態応力の合成によって変形が発生しますが、断面形状が対称でないものは変形しやすいといえます。
普通、マルテンサイトは温度の降下につれてその量を増しますので、Ms点以下で各部位を均一に冷やすことで変形を少なくすることができます。
熱処理的にはMs点付近以下の温度降下を調節して変形を少なくする操作をします。例えば、油冷などでは冷却途中で引き揚げて冷却速度を小さくしたり、Ms点付近まで温度を上げたソルトバス中に焼き入れることで変形を小さくする方法がとられます。後者の焼入れ方法にはソルトバスなどを用いた「マルクエンチ(またはマルテンパーなど)」があります。
焼入れによって生成したマルテンサイトと変態しない残留オーステナイトの割合も変形に影響します。一般に冷却速度が遅いと残留オーステナイトが増える傾向にあり、マルクエンチなどでもそれが増加します。
また、金型(治具)で品物を拘束して焼入れすることで変形をおさえる方法もあります。これは「プレスクエンチ」「金型焼入れ」などと呼ばれます。
変形の大きさは、焼入れ時に発生するのが大きいために、曲りの方向を予測してあらかじめ逆方向に変形させたものを焼き入れる場合もありますが、この方法は熟練を要します。
(3)焼戻し時の変形
変形することによって応力が均一化される傾向になっているといえますので、それを無理に拘束すれば偏った応力が残ることになります。
焼戻しの際にも組織変化と熱によって応力解放が進行しますし、これに加えて、加熱中の熱膨張の影響を受けて複雑に変形します。
500℃以上で炭化物の析出によって硬化する(2次硬化と言います)際にも変形が生じます。
(4)変形の除去
変形を除去する操作を「曲り取り」「ひずみ取り」「矯正」などと呼んでいます。
硬さの低いものについては「プレス」「ロール」などで押し付けて曲りをとります。
硬さの高いものは機械的に外力を加えても容易に変形を除去できませんので、加熱冷却時の応力を利用したり、焼戻しに伴う組織変化の際の応力変化を利用して矯正する方法などがあります。
また、タガネなどで品物に圧痕をつけることで応力を発生させて曲りをとる方法も古くからおこなわれていますが、一般的でなく、割れなどのリスクも大きいのでお勧めできるものではありません。
通常の熱処理操作としては、焼入れによって変形した品物を焼戻しする時に治具などで品物を拘束して変形を除去する方法があり、「プレステンパー」と呼んでいます。
残留オーステナイト量を調節することで焼入れ時の変形を少なくできますが、オーステナイトはマルテンサイトに、マルテンサイトは炭化物を析出して安定な状態になろうとする傾向があります。このために、時間を経過してこの変化が起こると変形の原因になります。
これは時効変化や経年変化などと呼ばれます。
これを防止するためには残留オーステナイトを低減するように熱処理するか、安定化または消失させることが必要で、たとえばMf点以下の温度にサブゼロ処理をすることでほとんど消失でき、550℃以上の焼戻しで完全に分解することができますが、250℃以下の低温焼戻しで用いられるナイフや工具類は焼戻しによる残留オーステナイトは分解消失しませんので、しっかりと焼戻しすることで残留オーステナイトを安定化させて経年変化に備えます。
-100℃までのサブゼロ処理は電気冷蔵庫で冷却するか、ドライアイス(または液化炭酸ガス:約-80℃)を使用して、焼入れ直後(焼戻し前)に実施され、その温度以下-180℃までのクライオ処理と呼ばれるものの多くは、液化窒素を使用してされているものが多いようです。別にも説明していますが、サブゼロ処理によって、残留オーステナイトを完全に消失させることが難しく、経年変化についても、簡単には対策できないということも頭に入れておいてください。
焼戻し段階までに品物が割れてしまったり、クラックが生じることを「焼割れ」と言っています。焼割れが生じると、ほとんどの場合は、品物として使用できなくなってしまいます。
熱と組織変化による膨張収縮をさせるのが熱処理ですので、その応力や応力の集中によって、材料の持つ強度を上回ったときに、焼割れが生じるか変形によって焼割れを免れるかという状態になりますので、焼割れ、変形の危険性はいつもあることになります。
近年、焼入れ性の高い品物を扱うことが多くなり、材料自体の品位もよくなっていますので、焼割れの件数は激減していますが、それが発生した場合には、外観的な判断と、顕微鏡による調査など、品物を切断するなどして調査することによって原因が推測される場合も多いのですが、原因と考えられる要因は様々で、熱処理操作上の原因以外に、熱処理設備、材料、形状や設計など多岐に渡っていたり、複合した原因の場合や責任の所在を決められないことも多く、それらを説明するには紙面を割かなくては説明しきれませんので、ここでの解説は省略させていただきます。(焼戻し割れの項目でも説明しています。参照してください)